真宗大谷派 西福寺

大分市 真宗大谷派 西福寺

浅原才市

    せかいこくうがみなほとけ 
    わしもその中 なむあみだぶつ
  

    才市よい うれしいか ありがたいか 
    ありがたいときや ありがたい なつともないときや なつともない 
    才市 なつともないときや どぎあすりや(どうするか)
    どがあもしよをがないよ なむあみだぶと どんぐりへんぐりしているよ 
    今日も来る日も やーい やーい

 

    目にみえぬ慈悲が 言葉にあらわれて 
    南無阿弥陀仏と 声でしられる

 

    死ぬるは浮世のきまりなり
    死なぬは浄土のきまりなり
    これが楽しみ 南無阿弥陀仏
    世界をおがむ 南無阿弥陀仏  
    世界がほとけ 南無阿弥陀仏

 

    聞いた聞いた
    いいこと聞いた
    凡夫が仏になること聞いた
    聞いても聞いても何ともない
    何ともないのが目当てと聞いた

 
    ほとけから
    ほとけをもろうて
    なむあみだぶつ
    なむあみだぶつが
    わしのほとけよ

 

    こんなさいちわ かくことわやめりゃゑゑだ 
    いいや こがなたのしみわありません やめらりゃしません 
    ほ(法)をたのしむかくもんであります まことにゆかいなたのしみであります 
    明ご(名号)のなせることのたのしみ なもあみだぶつてあります

 
    道理理屈を聞くじゃない 味にとられて味を聞くことなむあみだぶつ

 
    あさましと知られた心 仏の心よ

 

    凡夫わからにゃ邪慳なり 凡夫わかれば慚愧なり なむあみだぶつ
 

    おなじ迷い迷いと言いましても 
    迷いが迷いに居るのと 法が迷いに居るのとは違いがしてをります 
    自力他力はここでわかります

 

    他力には自力も他力もありわせん 一面他力なむあみだぶつ

 

    煩悩も具足 お慈悲も具足 具足づくめのなむあみだぶつ

 
    如来さんはどこにをる 如来さんはここにをる 
    才市が心に満ち満ちて なむあみだぶつを申しているよ

 

    名号は不思議な慈悲で 合点がいらぬ 
    合点いらぬがなむあみだぶつ

 

    念仏は仏の念仏 仏が申す念仏 ただの念仏 
    わたしゃ用なし ごをんうれしやなむあみだぶつ

 

    なむあみだぶつに抱き取られ 取られて申すなむあみだぶつ

 

    称えても 称えても また称えても
    弥陀の呼び声なむあみだぶつ

 

    名号はわしが称えるじゃない わしにひびいてなむあみだぶつ

 

    才市や何処におる 浄土貰うて娑婆におる 
    これがよろこび なむあみだぶつ

 

    わたしゃ浄土を先に見て 娑婆で申すなむあみだぶつ

 

    才市や臨終すんで 葬式すんで 
    なむあみだぶつとこの世にはをる云々

 

    影を見よ 光明の光のおかげで 影がみえるぞ 
    浄土の影がこれでわかるぞ 
    ごをんうれしやなむあみだぶつ なむあみだぶつ

 

    才市や何がおもしろい 迷いの浮き世がおもしろい 
    法をよろこぶ種となる なむあみだぶつの花ざかり

 

    昔はありがたいこと たよりに思い なんともないこと ちからをおとし 
    いまは あろうがあるまいが ごをんうれしやなむあみだぶつ

 

    ありがたいの ありがたいの ありがたいのがあなたの慈悲で 
    うれしうないのがわたしの心 うれしかろうがかるまいが
    機法一体なむあみだぶつ これが知れたらありがたい

 

    わたしゃあさまし 親のごをんがよろこばれん 
    よろこばれんならほうっておけよ 凡夫がよろこぶ法ではないよ
    ごをんうれしやなむあみだぶつ

 

    才市はなむあみだぶつをどう心得てをるか 
    へ はなむあみだぶつに貰われましたよ 
    御報謝をどう心得てをるか 
    へ 御報謝は思い出したり忘れたり あさましいものであります

 

    ねるも仏
    おきるも仏
    さめるも仏
    さめてうやまう なむあみだぶつ
    むねに六字のこゑがする
    おやのよびごえ
    慈悲のさいそく
    なむあみだぶつ
 

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