2016年
ちょっと、のんびりしていたら、新しいページの作成方法を忘れ、ふとしたことで、やっと2016年のページが作成できました、もう1年が終わりそうです。最近物忘れがひどくなってきました。
今年は暑い夏でした、やっと雨が少し降り、庭の木々も人も、ちょっと一息つき、朝夕には秋風を感じられるようになりました。
年をとると、足腰が弱り、病気に追われて一年たつのが段々早くなるそうです。一休さんが晩年の心境をおおらかな句に詠んでいます。
「たらちねに、呼ばれて仮に生まれ来て、心おきなく帰るふるさと」
この歌は一休さんの作とされています、「たらちね」は母を意味しています。母に呼ばれて、仮に人として生まれてきたが、ここは仮の世だから遠からずお別れしなければならない。その時は、懐かしい命のふるさとに、心安らかに帰る時である。
「死にはせぬ、どこへも行かぬここに居る、尋ねはするな物は言わぬぞ」
この歌は一休さんの辞世の句とされています。死んだらどこへ行くのか。どこにも行かぬ、ここにおる。しかし、いくら呼びかけても返事はせぬぞ、というのである。仮の命は終わっても、その命のはたらきは、決して死で終わるもではない、そのことに気が付いて欲しいと。
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「仏の智慧に触れてみると、自分の力だと思っていたのが、多くのおかげさまの中での歩みだった、と知らされます」 (田畑 正久)
元気で思い通りになっている間は、このことにはなかなか気がつけません。
年をとり、病気になり、また、思いがけない出来事に出会い、はじめて、自分の無力さを感じます。
時々、「他力本願」ではだめだということを耳にします。
しかし、私たちは、多くのおかげさまに支えられて、自力を尽くせるのです。今年のオリンピックでも、金メダルをとった選手が、必ず「多くの人に支えられて、金メダルが取れました」とコメントしていました。本当に自力を尽くした人が、多くのおかげさまの中で、自力を尽くすことができましたという実感の言葉だと思います。
「他力」とは、「おかげさまで」ということを表すことばでもあります。
「人事を尽くして 天命を待つ」という言葉がありますが、ある先生が「天命に安んじて 人事を尽くす」と読み替えられました。意味深い言葉だと思います。
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