真宗大谷派 西福寺

大分市 真宗大谷派 西福寺

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真宗大谷派 「法雲山 西福寺」のホームページへようこそ

1月1日元旦、今年も「修正会」より始まりました
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「聞こう お念仏のこころ」

大分市の郊外にひっそりとたたずむ、開基五百年の親鸞聖人を宗祖とする寺院です
真宗大谷派に属し、京都の東本願寺(真宗本廟)を本山とします
 

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蓮の花が咲きました
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「秋のお彼岸法要」
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あたりまえ (井村和清)

 あたりまえ こんなすばらしいことを、
 みんなはなぜよろこばないのでしょう 
 あたりまえであることを

 お父さんがいる、お母さんがいる
 手が二本あって、足が二本ある
 行きたいところへ自分で歩いていける
 手をのばせばなんでもとれる
 音がきこえて声がでる
 こんなしあわせなことがあるとでしょうか
 しかし、だれもそれをよろこばない
 あたりまえだ、と笑ってすます。

 食事がたべられる
 夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる
 空気をむねいっぱいにすえる
 笑える、泣ける、叫ぶこともできる
 はしりまわれる
 みんなあたりまえのこと

 こんなすばらしいことを、
 みんなは決してよろこばない

 そのありがたさを知っているのは、
 それを失った人たちだけ

 なぜでしょう あたりまえ
  
 「 飛鳥へそしてまだ見ぬ子へ 」 (井村和清 祥伝社)より

 
 

  「花のたましい」

   散ったお花のたましいは、
   み仏さまの花ぞのに、
   ひとつ残らず生まれるの。

   だって、お花はやさしくて、
   おてんとさまが呼ぶときに、
   ぱっとひらいて、ほほえんで、
   蝶々にあまい蜜をやり、
   人にゃ匂いをみなくれて、

   風がおいでとよぶときに、
   やはりすなおについてゆき、

   なきがらさえも、ままごとの
   御飯になってくれるから。

            (金子みすゞ
  名前から「金子みすゞ」さんのホームページにリンクします
         
 
  

一切の命あるものは、いのちと願いのバトンタッチを繰り返しながら「無量のいのち」を生きるものです

     「大悲の風」

西福寺の阿弥陀如来

     大悲の風
     わかりにくいが
     私のあさましさに合掌したら
     どこからともなく
     ふいてくる
  
      「浄土のとなり」

     この古い畳の上で
     しずかに いのちのながれに
     心耳(みみ)をすまし
     ここが私の
     一ばんだいじな棲処(ところ)としり
             (榎本 栄一)
 

   『人は必ず死ぬのだから
     いのちのバトンタッチがあるのです

    死に臨んで先に往く人が
    「ありがとう」と云えば
    残る人が
    「ありがとう」と応える
    そんなバトンタッチがあるのです

    死から目をそむけている人は
    見そこなうかもしれませんが
    目と目で交わす一瞬の
    いのちのバトンタッチがあるのです』
         (青木 新門)

 出遇っては、別れ、また出会い、いのちと願いのバトンタッチをくり返しながらの不思議な出会いです

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 如来さんはどこにをる
 如来さんはここにをる
 才市が心に満ち満ちて
 なむあみだぶつを申しているよ
          (浅原 才市)
  

<西福寺に伝わる阿弥陀如来>

 「南無阿弥陀仏」の「阿弥陀」は無量・無限を意味します

  無量・無限なる働きに、そっとふれてみませんか

 その働きは、何か一つのことを大事にして生きている人の上に、いつも働いているものです、そのことを感じる感性を大切に思います

仏の光に出遇う

仏の光に遇うことで、自身の本当の姿に気付く「煩悩具足の生死の凡夫」と

自然界も光がないと、色も形も見えません、仏の光の働きも同じです

仏の光に照らされて、今まで見えなかったことが少し見えてくる

仏の光といっても、神秘的なものではありません
具体的には、言葉であったり、人のうえに表れる穏やかな表情であったり

その光に出遇った人を通して、私たちも光に遇うのです

その人を「よき人」と、「よき人と出遇う」といいます

そんな出会いをしてみませんか、自分の思いをひるがえしてくれるような

リンク先にそんな人のホームページをのせています

是非のぞいてみませんか
 
 
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賢者の信を聞きて、愚禿が心を顕す。

賢者の信は、内は賢にして外は愚なり。愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり。

           
              (親鸞聖人)

賢者の信を聞くことがないと,自分の愚かさは気付かないですね
「愚」はだめだ、すこしでも「賢」にならないと考えます
しかし、本当に「賢」になれるものでしょうか、
私たちの本当の姿はどこまでも、「内は愚」です,そして「外は賢」の振る舞いをします

「賢者の信」を聞いて,自分の「愚禿の心」がうなずけたとき「お念仏(南無阿弥陀仏)」に託された,仏の願いの大きさに出会う時です

「修正会法要」のご案内

  1月1日

   午後1時 お勤め

「春のお彼岸法要」のご案内

  
  3月21日(火)
   
   午後1時より お勤め

「仏教婦人会」「降誕会法要」のご案内

 
  4月13日(木)
   
   午後1時より お勤め

   法話 佐藤第二病院

     院長 田畑 正久 先生
 

「永代経法要」のご案内

  6月27日(火)

   午後1時 お勤め
  
   

「お盆法要」のご案内

  
  8月15日(火)
   
   午後1時 お勤め

「秋のお彼岸法要」のご案内

  
  9月23日(土)
   
   午後1時 お勤め

   

「御正忌報恩講」のご案内

   11月18日(土)19日(日)

  
    午後1時 勤行

   法話 福岡 法照寺 秦 秀道 師(18日のみ)
   

 

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